丸善工業3代目ストーリー【序章】

どうも『はたらく×くらす』を木と鉄で育む建築屋 丸善工業3代目の長善規(@maruzen3rd)です。

これは、有限会社丸善工業の3代目長善規がどう育ち、どう学び、どう活動し、とちぎの「はたらく・くらす」を応援するようになったのか、のお話です。

遡っては幼少期から、高校編、大学編、新社会人編、家業へ戻る編とそれぞれの時代でなにをどう学んできたのか、どんな失敗をしてきたのか、どんな成長を促してきたのかを思うがままに書き記していきます。

長文駄文となると思いますがよろしくお付き合いくださいませ。

ではではゆるりゆるりと始めてまいりましょう。
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・・・それはとてもとても寒い冬の日の夜のことでした。
  

中学2年の姉、小学6年のわたし、小学3年の妹たち(双子)は姉の部屋の小さなコタツに入り、泣きつかれて寝ていました。

1月31日。

1年間の闘病生活の末、最愛の母が他界しました。

幼少期

室の八島のある大神神社の近く、栃木市の田舎で暮らしていた我が家は4世代の9人が暮らす大家族でした。

元気いっぱいな曽祖母、寡黙ながら優しい祖父、旅行とおしゃべりが大好きな祖母、これまた寡黙ながら自営業に励む父、家事に育児に地域活動に笑顔で取り組んでいた母、しっかりものの長女、泣き虫なわたし、とにかく賑やかな双子の妹たち。

今思い返すと、祖父・父・わたしの男性陣が寡黙なのも元気な女性陣がいっぱいしゃべっていたからなんでしょうね。

家の中はいつもうるさいくらいににぎやか。どこかしらで笑い声と騒ぎ声、怒鳴り声が鳴り響いていました。

9人家族+叔母

自宅の隣には自営業として鉄骨業を営む(有)丸善工業の工場と事務所がありました。

創業者である祖父と2代目の父とスタッフが工場の内外を忙しなく働いている様子を庭で眺めながら育ちました。

H鋼の上をミニ四駆走らせたり、資材置き場でかくれんぼしたり。困らせていたこと間違いなしw

それでも子どもの頃から職住一体の暮らしを過ごしていたわたしには「ぼくもいずれここ(丸善工業)で働くんだ」と刷り込まれていたことでしょう。

転機は突然訪れた

わたしが小学校1年生のときに㈲丸善工業創業者である祖父が突然他界しました。

今も鮮明に覚えています。夏休みの小学校のプールの指定日だったのでプールで泳いでいたら姉が走って迎えにきました。風邪をひいて少し寝込んでいたはずの祖父の状態が急激に悪化。別れの言葉を言えずに旅立っていってしまいました。

祖父にフォークリフトやトラクターに乗せてもらって遊んでもらっていたわたしは祖父のことが大好きでした。大切な人の死は突然にやってくるものなのだと恐怖を覚えました。

 

その5年後に最愛の母が他界。そしてまたその数カ月後に曾祖母が他界してしまいました。

あのにぎやかだった家の中はシ~ンと静まりかえり、残された家族(祖母・父・4人兄弟)は必要最低限の会話しか交わさなくなってしまいました・・・。

父は自営の鉄骨業の経営に励み、祖母は母の代わりに家事をこなし、姉は中学の生徒会活動に明け暮れて、妹はフットベースに夢中になり、わたしは部活のハンドボールに明け暮れました。

まるで心の中にぽっかり空いた穴をなにかで埋めようと・・・必死に・・・。

しかし、

いつも笑顔で、気配り上手で、社交的で、PTA活動にも積極的に参加して、運動神経抜群で、一家の「太陽」だった母を失った代償はあまりにも大きかった。

 

家族はどことなくぎこちなく、互いに腫れ物に触れるがごとく気を使うように。

そうこうするうちに時がたち、わたしは高校生になり自分の進路をきめる年頃になりました・・・。

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この記事を書いた人

栃木市在住 3児の父

鉄骨屋のアトツギにもかかわらず

木と自然素材と省エネを学んできた3代目
鉄と木と自然素材を活用して
栃木の「はたらく・くらす」を応援しています!

★資格
2級建築士・住宅ローンアドバイザー・暮らし省エネマイスター
ホームインスペクタター・福祉住環境コーディネーター2級
窯業サイディング塗替診断士・既存住宅現況検査技術者
電磁波測定士2級

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