ちょうど今日から10年前の2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。あれから10年、みなさんの暮らしにはどんな変化が起きたでしょうか?どうも『はたらく×くらす』を木と鉄で育む建築屋 丸善工業3代目の長善規(@maruzen3rd)です。
3.11に想う
2011年3月11日、宇都宮市芦沼に新築工事の打ち合わせで来ていました。
打ち合わせが終わり「さてそろそろ栃木市に戻るか」と車を動かし始めた矢先のこと。
目の前の信号と電信柱がおおきくゆれました。
グニャグニャときもちわるいくらいにゆれました。
通常自動車の中にいると小さな地震は感じられないものなので、これは只事ではないと実感。
家にいる妻と次女(0歳)、保育園にいる長女(2歳)が心配になり電話するも繋がらず、妻にメールを送りました。
「本が倒れてきたけれど家は大丈夫。保育園いける?」
宇都宮市芦沼からは通常ならば車で1時間。
でも信号は停電状態。高速道路は通行止め。どれだけ時間がかかるか検討もつきません。
長女のお迎えを父に頼み、なんとか下道で帰ることにしました。
道中、不安な気持ちでいっぱいでした。
母屋は大丈夫か。親戚たちは大丈夫か。仲間は大丈夫か。丸善オーナーたちは大丈夫か。
ニュースでは津波がきたって?原発が大変なことに?これから先はどうなるのだろうか?
停電はどうなるのか?家族を和歌山に避難させた方がいいか?事業はどうなるか?
福島は?栃木は?日本はどうなるの?と不安な気持ちを抱えたまま帰宅。
家は停電中だったので家族で暖を取るために母屋の一階に集まり就寝しました。
電力が復旧したときは本当にホッとしましたが、計画停電など不安な日々が続きました。
SNSの繋がりが当たり前になった10年
当時問題になったのはガソリン不足でした。
ガソリンスタンドにガソリンがないのですから困ったものです。
そこで情報収集に活躍したのがTwitterでした。
どこのガソリンスタンドが空いてるよ。
ここのガソリンスタンドで並んでるよ。
顔も知らない名前もわからない相手との情報共有は実に心強かったんです。
それまでは実名登録のFacebookを活用していましたが、拡散力の高いTwitterの強みを感じることができました。
今でこそFacebook・LINE・Twitter・Instagram・YouTube・TikTok・clubhouseなどSNSが普及していますが当時はそれほどではありませんでした。
この10年、SNSで繋がることが当たり前となり、集客や情報収集にも役に立つようになりました。
「遠くの親戚よりも近くの他人」
とよくいいますが、
「遠くの親戚よりも近くの他人、近くの他人よりもSNS仲間」
という気がします。
あれから10年
なぜか10年前にいた現場に今日メンテナンスで訪れていました。
不思議ですね。なにかに引き寄せられたのでしょうか・・・。
そとん壁とレッドシダーの外壁がいい感じになっています♪
もともと鉄骨てすりをつけていたのですが、お子さんの成長によりロフト生活が増えそうだったのでロフトの手すりを設置しました。
明日はキッチン水栓の交換工事なども予定しています。
またこれからの生活を安心して暮らせるように家守りとして寄り添っていきますね。
ではでは。