山も谷もどん底もあった半世紀・49歳になった丸善工業

最近夜2時間おきに起きてしまうのでいっそのことショートスリーパーになったと思い込もうとしています。どうも『はたらく×くらす』を木と鉄で育む建築屋 丸善工業3代目の長善規です。

目次

もうすぐ設立記念日

昭和46年12月、有限会社丸善工業が「オギャー」とうぶ声をあげたかどうかは分かりませんが誕生しました。祖父 長善一、父 長英夫の2人で立ち上げました。

最初の仕事は工場や倉庫。その頃の栃木市や小山市の中小企業も設備投資が盛んだったとのこと。景気も良かったこともあるんでしょうね。#いい時代だ

その後は農業用倉庫や工場・倉庫など鉄骨造の建物を建てたり、富士重工業のコンテナ製作をしたり、工場の改修工事に取り掛かったりと時代の流れとともに仕事の内容もどんどん変化していきました。1993年にバブル崩壊時もひっそりと乗り越えて2020年に49歳を迎えました。#計算合ってるよね

「手広くやらなかったから生き残れた」

現会長である父 長英夫は言ってます。景気が良かった頃の仲間内は鉄骨加工以外にもどんどん手を広げたみたいです。不動産・住宅・株・飲食店などなど。そのほとんどは廃業してしまったとのこと。#これからやろうとしてるかもw

鉄骨会社はもともと下請け事業。大手の建設会社から鉄骨工事を受注して製作します。つまり元請けの営業力に振り回される可能性があるわけです。実際に見積もりをしても仕事にならないことが多数あったんですって。

下請け事業からの脱却

バブルが弾けた後の先代の時代では本当に苦労しました。何と言っても仕事がない。どこもかしこも景気が悪いから設備投資なんてもってのほか。既存建物の改築・改修工事がメインになりました。

そこで力を発揮したのが父の繋がり。農業高校出身の父の同級生たちは農家さんばかり。比較的バブルの影響を受けにくい業界だったのです。顔の見える繋がりを大切にしていた父は牛舎や豚舎、厩舎など受注していくのでした。

3代目の私が家業に戻ってきたのが2008年。父の営業努力で土俵際を耐えていた会社もかなり厳しくなっていました。そこてテコ入れしたのが営業戦略。

「零細鉄骨業の下請けに先はない」

家業に戻ってそう感じた私はインターネットとHP、SNSを駆使して自前で営業できる体制を整えようとしました。始めた頃はうまくいきません。それでも継続していくとポツポツとご指名でガレージ建築の依頼を受けることが増えてきました。

過去の実績にしがみつくのではなく挑戦していこうと「おれのガレージ」というオーダーメイド鉄骨ガレージ専門店として舵を取り突き進むのでした。

 

一方私の学んできた木造と自然素材と省エネ技術を活かした新築と大規模リフォームと住宅診断を行う「育みの家」という木造事業部を設立。

 

というわけで今の丸善工業は木造部門「育みの家」と鉄骨部門「育みのガレージ」が支え合っています。このコロナ禍でも二つの部門のおかげで前年対比100%超えがみえてきました。ありがとうございます。

まとめ

一言で49年と言っても本当に山あり谷ありどん底ありの事業でした。倒れずにここまで来れたのもついてきてくれた家族とスタッフ・協力会社の皆さん、丸善工業を信頼して依頼してくれたオーナーの皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。

このご縁をこれからも大切に育んで、丸善工業に関わる皆さんの笑顔が溢れる暮らしを過ごせるように日々精進していきたいと思います。

 

え〜かなり真面目な感じになってしまいましたね。#そんなつもりはなかった

それではまたね!


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この記事を書いた人

栃木市在住 3児の父

鉄骨屋のアトツギにもかかわらず

木と自然素材と省エネを学んできた3代目
鉄と木と自然素材を活用して
栃木の「はたらく・くらす」を応援しています!

★資格
2級建築士・住宅ローンアドバイザー・暮らし省エネマイスター
ホームインスペクタター・福祉住環境コーディネーター2級
窯業サイディング塗替診断士・既存住宅現況検査技術者
電磁波測定士2級

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