どうも、栃木の『働く×暮らす』を木と鉄と遊び心で応援する建築屋 育みの家3代目の長善規(@maruzen3rd)です。
平成を自分史とともに振り返ってます。スーパーファミコンやゲームボーイ、学童野球など当時の思い出とともに自分の軸が浮き出てきて面白い。あ、私に興味ない方には本当につまらない内容なのでスルーしてくださいね。
平成三年は人生の転機
学童野球に打ち込んだ小学六年生。二番セカンドとして栃木市の大会で三度優勝!決勝戦では同じ小学校の仲間でもあり、隣町の野球チームと熱戦を繰り広げてました。飛び抜けた選手はいなかったけどバランスが良かったチームだったね。
夏の大会が終わって学童野球を引退すると、母が体調を崩して入院した。運動神経抜群で地区の運動会ではリレーのアンカーとして走る母の姿はかっこよかった。夜中、編み物に励む母にコーヒーを入れるのがわたしの役割だった。砂糖ひとサジ、クリープふたサジ。甘ーいコーヒーを美味しそうに飲んでくれた。元気いっぱいの母だったので入院が長びくなんて思ってもいなかった。
1ヶ月、2ヶ月。母は良くなるどころかどんどんやせ細っていった。
姉と二人の妹とともに母と交換日記をした。学校であったことを日記に書いて父に預ける。病院で母が返事を書いて父に預ける。その日記は今でも残っている。でも読み返すことはない。
3ヶ月、4ヶ月。一時退院が許されたけど、在宅で痰切りが欠かせない。結局寝たきり生活のまま、体調が悪くなり再入院。それが最後の帰宅となるとは思わなかった。
この年にJリーグが発足。世間はサッカーブームで賑わっていた。SMAPもデビュー。まだ森くんもいたんだね。
あ、ブラックニャンダーさんリニューアルオープンしました!詳しくはまたあとで♪